ダラス地域情報
ダラス市
- 愛称
- Big “D”
- 面積
- 378平方マイル(979平方km)、東京23区(613平方km)の約1.5倍に相当。
- 所属郡
- 市域のほとんどがダラス郡に属し、一部はコリン郡、デントン郡に属する。
- 友好都市
- 宮城県仙台市
- 緯度
- 長崎市とほぼ同緯度。(テキサス州は茨城県と沖縄県の間に位置し、ヒューストンは奄美大島とほぼ同緯度)
- 時差
- 日本との時差は-15時間。夏時間(Daylight Saving Time)中は-14時間。国内では中央時間帯(CST)に属し、東海岸とは+1時間、西海岸とは-2時間の時差。
- 気候
- 一年を通して比較的穏やかな気候。年平均の最低気温は12.6度、最高気温は24.6度。しかし、夏は気温が高く暑い。6月~9月の平均気温が25度超。7月の平均気温は30度。湿気が少なく、木陰等に入ると比較的すごしやすい。日差しはかなり強い。
- 冬には、南部のイメージとは異なり、寒気団の南下によって最低気温が氷点下になる日も平均で38日間もある。年平均積雪量も71mmあり、雷が多く、雹が降ることもある。
- 竜巻はテキサスも含めてアメリカ中部で多く発生し、たびたび人的被害を引き起こす。排水施設の未整備により、大雨が降るとしばしば道路が冠水する。そのため、TVやラジオでの天気予報には注意が必要。年を通じて1日の寒暖の差が激しいので、注意が必要。(気温表記は摂氏)(資料:米国商務省国内気象データセンター)
気温換算表
- 換算式:C=(F-32)×5÷9
F(華氏) | 100 | 90 | 80 | 70 | 60 | 50 | 40 | 32 | 20 |
C(摂氏) | 37.8 | 32.2 | 26.7 | 21.1 | 15.6 | 10.0 | 4.4 | 0 | -6.7 |
ダラス郡(カウンティ)
- 面積
- 880平方マイル(2,279平方km)
東京都(2,183平方km)とほぼ同じ。
- 内容
- ダラス市を始め、28市町及びコミュニティを抱合している。
ダラス大都市圏
(PMSA: Primary Metropolitan Statistical Area)
面積
- 4,471平方マイル(11,579平方km)
秋田県(11,613平方km)とほぼ同じ。
内容
- 統計上、ダラス郡を始め、8つの郡からなる。
ダラス・フォートワース連結大都市圏
(CMSA: Consolidated Metropolitan Statistical Area)
- 面積
- 6,968平方マイル(18,046平方km)
東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県・山梨県の合計面積(18,014平方km)とほぼ同じ。
- 内容
- 統計上、ダラスPMSAとフォートワースPMSAをあわせた地域。
ダラスの人口
人口の全米ランキング(2007年)
市ベース
|
||
順位
|
市
|
人口
|
1
|
ニューヨーク
|
8,310,212
|
2
|
ロサンゼルス(CA)
|
3,834,340
|
3
|
シカゴ(IL)
|
2,836,658
|
4
|
ヒューストン(TX)
|
2,208,180
|
5
|
フェニックス(AZ)
|
1,552,259
|
6
|
フィラデルフィア(PA)
|
1,449,634
|
7
|
サンアントニオ(TX)
|
1,328,984
|
8
|
サンディエゴ(CA)
|
1,266,731
|
9
|
ダラス(TX)
|
1,266,372
|
10
|
サンノゼ(CA)
|
939,899
|
CMSAベース
|
||
順位
|
CMSA
|
人口
|
1
|
ニューヨーク
|
19,006,798
|
2
|
ロサンゼルス
|
12,872,808
|
3
|
シカゴ
|
9,569,624
|
4
|
ダラス・フォートワース
|
6,300,006
|
5
|
フィラデルフィア
|
5,838,471
|
6
|
ヒューストン
|
5,728,143
|
7
|
マイアミ
|
5,414,772
|
8
|
アトランタ
|
5,376,285
|
9
|
ワシントン
|
5,358,130
|
10
|
ボストン
|
4,522,858
|
(資料:U.S. Census Bureau)
ダラス地域の主要都市人口(2000年)
順位
|
市
|
人口
|
1 | ダラス | 1,240,499 |
2 | フォートワース | 534,694 |
3 | アーリントン | 332,969 |
4 | プレーノ | 222,030 |
5 | ガーランド | 215,768 |
6 | アービング | 191,615 |
7 | グランド・プレーリー | 127,427 |
8 | メスキート | 124,523 |
9 | キャロルトン | 109,576 |
10 | リチャードソン | 91,802 |
11 | デントン | 80,537 |
12 | ルイスビル | 77,737 |
13 | ノースリッチランドヒル | 55,635 |
14 | ベッドフォード | 47,152 |
15 | ユーレス | 46,005 |
(資料:U.S. Census Bureau)
ダラス・フォートワースCMSAの人種構成(2000年)
人種
|
人口
|
割合
|
White alone
|
3,628,965
|
69.50%
|
Black or African American alone
|
720,133
|
13.79%
|
Asian alone
|
195,480
|
3.74%
|
American Indian and Alaska Native alone
|
29,629
|
0.57%
|
Native Hawaiian and Other Pacific Islander alone
|
4,385
|
0.08%
|
Some other race alone
|
517,197
|
9.90%
|
Population of one race
|
5,095,789
|
97.59%
|
Population of two or more races
|
126,012
|
2.41%
|
Total
|
5,221,801
|
100.00%
|
(資料:U.S. Census Bureau)
ダラスの歴史
(下記年代横のかっこ内は当時のダラス市の人口を表す)
- 1841年
- テネシー州の法律家ジョン・ニーリー・ブライアンがトリニティ川河畔でインディアンや開拓者との交易所を設置したのが、ダラス市の起源とされている。1836年テキサス共和国誕生の6年後。日本でいえば江戸幕府崩壊期の天保年間、ペリー来航の11年前にあたる。
- 1870年(1,000)
- ダラス郡がテキサス州によって創設される。
- 1846年
- この頃、ダラスはまだバッファローの取引き拠点であった。
(ガルベストン13,000人、サンアントニオ12,000人、ヒューストン9,500人)
- 1872年
- ヒューストン&テキサスセントラル鉄道が、ヒューストンから北上しダラスに至る。翌年には、オクラホマとの境界近くのデニソンまで開通し、そこで、セントルイスから南下してきたMKT(ミズーリ・カンサス・テキサス)鉄道と連結した。
- 1873年
- セントルイスにつながっているテキサカーナから、エルパソ、カリフォルニアに向けて西進していたテキサス&パシフィック鉄道がダラスに至る。この東西と南 北の鉄道がダラスで交差したことにより、国中の最新流行の商品が享受できることになり、ダラスは最も洗練された、南西部でも最も東部的な都市としての名声 を得て、その後の急速な発展の礎を築いた。
金融分野では、1860年代後半から民間銀行が始められ、1870年代には州認可と国認可の銀行がダラスに設立された。こうして金融センターとして発展したダラスは、1914年に全国で12ある連邦準備銀行の一つが設置されることになる。
- 1890年(38,000)
- 鉄道交差後、約20年でダラスは州最大の都市となる。
(サンアントニオ37,000人、ガルベストン29,000人、ヒューストン27,000人)。
1900年(43,000)
1907年
- ダラス綿花取引所開設。また、高級デパートニーマン・マーカスが開店し、小売業に異変をもたらした。高級住宅地ハイランドパークも開発される。
1910年(92,000)
- (サンアントニオが州最大の人口に)
1914年
- テキサスを含め近隣5州を所管する連邦準備銀行がダラスに設置される。
1915年
- サザン・メソジスト大学(SMU)開校
1920年(159,000)
- 都市計画家ジョージ・ケスラーが1910年に提案した案をダラス市及びダラス郡が実行。主に、トリニティー川の治水対策が行われ、ダラス市西部、北西部の開発の契機となった。
1927年
- ダラス市が第一次世界大戦時の訓練飛行場ラブ・フィールドを買収。民間航空会社の移転、ニュ ーヨーク、シカゴ路線が1933年に開設されるなど、航空産業の発展に寄与した。
1930年(260,000)
- 全米29番目の人口。(以降ヒューストンが州最大の人口に)
この繁栄は、北テキサスの肥沃な土地で生産が拡大されてきた綿花によるもので、1925年までには、世界の綿花生産量の約10%が、ダラスから半径100マイル以内で栽培されていた。この綿花を中心として、ダラスは主要な輸送拠点、卸売市場、金融センターとして発展した。 - 東テキサス油田がダラスの東100マイルのところで発見された。1931年の始め6ヶ月間で500社以上の石油関連会社が設立され石油ブームとなり、折か らの大恐慌の影響もダラスではそれほど深刻にはならなかった。第二次世界大戦中には、この油田が連合国軍への重要な燃料供給源となった。
1934年
- ジェオ・フィジカル・サービス会社が研究所をダラスに移転。テキサス・インストルメンツの前身となる。
1940年(294,000)
- 北東部の防衛産業を、労働力が豊富で空爆されない内陸部へシフトさせる政策がとられたことにより、ノースアメリカ・エヴィエイション・カンパニーがダラス の西グランドプレーリーに3万人も雇用する軍用機の大工場を建設した。それに伴い、関連企業も進出し、既存の卸売産業、金融サービス業に加えて、製造業が ダラスの発展を担うものとなった。
1947年
- チャンス・ヴォート・エアクラフトがダラスに移転し、先の軍用機工場の閉鎖による労働力を吸収し、地元の航空機産業を助長した。
1950年(434,000)
1957年
- トラメル・クローとジョン・ステモンズがホーム・ファニッシング・マートを開設。
1960年(680,000)
- プロフットボールチーム ダラス・カウボーイズが結成される。
1962年
- 1962年IBMのセールスマンだったロス・ぺローがエレクトロニック・データ・システム(EDS)を設立 。
1963年
- ケネディ大統領がダラスで暗殺される。世界中にダラスの名前が知られるとともに、シティ・オブ・ヘイトの汚名を付けられる。
- メアリー・ケイ・アッシュが訪問販売化粧品会社を設立。
1970年(844,000)
- 70年代は石油価格の上昇により、石油産業が隆盛を極めるとともに、その資金は銀行を経由して不動産産業に還流し、住宅ブームをも引き起こした。
1974年
- ダラス・フォートワース国際空港開港。
1979年
- アメリカン・エアラインズがダラスに本社移転。
1980年(965,000)
- 80 年代前半は、不動産、建設業が景気をリード。ダウンタウンの高層ビルの多くがこの時期に建設された。しかし、80年代後半は、これらのビルの名称がころこ ろと変わったことに象徴されるように、石油価格の急激な下落と不動産の過剰供給により、石油産業、不動産業、金融業などは大打撃を受けることとなった。
1990年(1,006,877)
- その後、企業のリストラ、地元機関の企業誘致努力等により、ダラス経済は好調さを取り戻し、全米でも有数の経済発展地域となっている。また、ダラス市の 北、リチャードソン市では、80年代の通信産業の規制緩和に伴い、MCI、ノーザン・テレコム、富士通、エリクソン等の通信関連企業が相次いで進出、「テ レコム・コリドー」として全世界の注目を集めるようになった。
1996年
- 日米文化交流の一大イベント「サン・アンド・スター」が開催され、日本文化の紹介に大きな役割を果たした。